エッセイ 「心を豊かにする写真術」

本エッセイは、スクラップブッキング愛好家向けの雑誌「ラブマイメモリーズ」に私が2011年から現在まで連載しているエッセイ「心を豊かにする写真術」からの転載です。より多くの方にお伝えできるよう、このたび、出版元の許可を得て、このブログの中でもご紹介させて頂きます。

最終回 人を育てる写真セラピー

 

(5) 大切な6つのルール NEW!!

 

私が提唱する写真セラピーには、以下のような「大切な6つのルール」というものがあります。ワークショップを開催する際にファシリテーターがこれらをしっかりと守ってさえいれば、そんなに間違った内容にはならないという意味では、「写真セラピーの基本中の基本」にあたるものです。

 

① 安全、安心で、楽しいと感じる場の提供(楽しいことは、心や体を元気にする)

 

② 全ての表現がOK(全ての表現をその人らしさとして、ありのままを受け止める)

 

③ 減点方式ではなく加点方式で褒める(きらりと輝く個性、感性を認めることで自己肯定感を育む)

 

④ 自己決定を促し、何事も強制しない(自ら物事を選択し実行する力、自立心、行動力、決断力を

  育む。手を出したい、口を出したいをぐっと我慢し、辛抱強く見守り、寄り添う)

 

⑤ 発表の場を提供する(人に共感される喜び、自信や意欲を創出する機会を与える)

 

⑥ 気持ちを言葉で表現する(自分の気持ちを言葉でも表現することでコミュニケーション能力を養う)

 

実はこれら6つのルールは単に写真セラピーのワークショップに役立つだけのものではありません。人が心豊かにに生きてゆけるためのヒント、そして子育てなど、人の成長を育むためのヒントでもあります。

 

上の「6つのルール」をそのように読み替えてみると、次のような内容になります。

 

➊ 育児や日々の生活に追われ、ストレスを抱える毎日の中でも、時には心から楽しいと感じる時間、創

  造的な時間を持ちましょう。楽しいと思うこと、創造的な活動は人の心や体を元気にしてくれます。

  忙しい中でも写真やスクラップブッキングを楽しむ時間を持つこと、そんな心の余裕は大切です。

 

❷ 自分や子供の個性や感性など、ありのままをその人らしさとして受け止めましょう。それが

 「自己肯定感」に繋がります。自己肯定感とは、どんな自分であっても生きている価値があると思える

  こと、子供にとっては「心の安全基地」です。幼い頃にそれをしっかりと育むことが、成長してから

  の心の安定につながります。

 

❸ 欠点と思える性格も、肯定的な見方をすれば、長所にもなります。例えば「優柔不断」という短所と

  思える性格も、裏返して見れば「慎重さ」という長所です。子供の自己肯定感、心の安全基地を育む

  ためには、個性や感性を肯定的に捉え、育んでゆくことが大切です。

 

❹ 人生は選択と実行の連続です。何か迷っていることがあったら、勇気を出して一歩を踏み出してみま

  しょう。どんな結果になろうとも、自分で頑張ってやったことは自信につながります。子育てにおい

  ては、子供の自律心、積極性を伸ばし、新しいことにチャレンジするのを応援しましょう。

 

❺ 誰もが評価されたい、自分の心の世界に共感してもらいたい、という欲求を持っています。それは大

  人でも子供でも同じです。きらりと光る個性や感性は、どんどん褒めて伸ばしましょう。

 

❻ 悲しいことに、立場の違いによって主張がぶつかりあい、解決に向けた話し合いが十分なされぬま

  ま、時として紛争や戦争にまで発展します。お互いの立場を尊重しつつ、コミュニケーションや話し

  合いを大切にしてゆくこと、時に勇気を出して自分の思いや考えを発信することが、平和な世界を実

  現してゆくために誰もができる一歩ではないでしょうか。

 

日本では「和を尊ぶ」や「目は口ほどに物を言う」という言葉が示すとおり、言葉によるストレートな表現を避けたり、それを曖昧にしたりすることで人間関係を良好に保とうとする島国特有の生きる知恵が存在します。また、何も言わなくても心中を察してほしいという、ある種、「甘え」の構造もそこにあるように思えます。

 

しかし、地球規模の気候変動が始まり、社会・政治の世界でも大多数の国民が反対する中、安全保障関連法案が可決成立するなど、私たちを取りまく世界は「安定期」から今や「変化の時代」に入りつつあるように思います。

 

そしてそのような今だからこそ、各自が確かな自分軸を持った生き方をしてゆくこと、そして未来を担う子供たちが力強く生きてゆけるよう、彼らの生きる力を親が潰すことなく見守り寄り添ってやること、それらが今まで以上に強く求められているのではないでしょうか。

 

これまでに11回の連載をさせて頂きましたが、今回がこのコーナーの最終回です。5年という長きにわたり、私のつたないエッセイにお付き合い下さった読者の皆さまに心から感謝いたします。またこのような貴重な機会を提供くださったラブメモの皆さま、ブティック社の皆さまに、心からお礼申し上げます。

 

もし私のエッセイが少しでも読者の皆さまのお役にたったとすれば、嬉しく思います。そしてまたどこか

でお会いできることを楽しみにしております。(完)

 

第10回 再生:写真で生きる力を育む

 

(4) 写真は心を写しだす鏡 

 

前回、シロクマの写真の見え方が人により異なる例を使って、「写真の投影性」とはどのようなものなのかをご説明しました。

 

私たちは物を「客観的」に見ているようでいて、実は自分の体験にもとづき、自分の心の世界を投影しながら「主観的に」見ています。従って、自分が撮影した写真を丁寧に見られるようになってゆくと、撮影時には意識していなかった心の状態を感じることができ、気づかなかった自分らしさが見えてきます。

 

本号ではそのような写真を通した自己発見と自己回復の実例をご紹介します。

 

右の写真では、崖の上に立つ一本の木に、必死に踏ん張って生きている自分の姿が投影されています。絵画療法においては、うつ状態からの回復期や移行期などに、しばしば崖や山の急斜面に生える松の木が書かれるといわれますが、この1枚では、撮影時にはまったく意識していなかったものの、険しい場所に生えている木に当時の自分の姿を投影しています。そして同時にそれは「頑張れよ」という自分自身への励ましのメッセージでもありました。

 

この朝焼けの写真(右)を撮る直前に、昔の写真仲間と道ですれ違いました。私のほうから声をかけたのですが返事が返ってこず、撮影に集中したいために、それ以上、そのことを気に留めることはありませんでした。

 

ところが現像から上がってきた写真を見た私はびっくり。思い描いていたような美しい朝焼けどころか、まるでメラメラと山が燃えているかのように見えるではありませんか。そしてその時、その写真には自分が意識しなかった、しかし私の心の奥底に確かに存在していた「無視されてくやしい」という思いが写しだされていたことに気づいたのでした。

 

幼いころ、「親にとって都合のよいいい子」に育つよう、「あなたはあなたらしくあってはいけない」というメッセージを受けとって育った子供たちは、自己肯定感が低く、感情表現も苦手、特にネガティブと思われる感情を感じたり、うまく表現したりすることができません。その中でも一番やっかいなのが、怒りの表現です。

 

この写真をゆっくり見ていると、撮影時に私の心を刺激した「くやしさ」の背後には、幼少期からためこんできた「怒り」が存在し、さらにその背後に「自分らしさが無視され、ありのまま愛されたと感じとれなかった寂しさ」があったことに気づいたのでした。

 

上述の体験を通して、自分自身のネガティブな部分(影)をも受け入れることができた私ですが、それは「自我の統合」という意味を持っています。

 

「統合」という言葉は、セラピーにおいて大変重要な意味を持っています。それは「こんな私も、あんな私も、どちらも私。私は私であってよい」とか「今まで生きてきて良いことも悪いこともあったが、この人生、そんなに悪いものではない」と思えること、癒しです。そして私にとってこの夜明けは、困難の先に見えてきた希望の光をイメージさせる光景でした。

 

上記はどれも風景写真での例ですが、スナップ写真でも同じようなことがおこります。

 

あるとき、お花見の席で友人らと大笑いしている女子高校生の姿が気になり、シャッターを押したことがあります。後日、そのくったくのない笑顔の写真を見て感じたこと。それは「私ももう一度、この女子高校生のように心から笑えるような自分になりたい。やらねばならないことに追われるだけの生活にあっても、自分の魂が喜ぶ人生を送りたい」そんな思いが心の奥底にあることを気づかせてくれた一枚でした。

 

このように、自分の気持ちを感じとることや言葉で気持ちを表現することが苦手な人、気持ちを抑え込んでしまう傾向にある人にとって、写真は非常に効果的な自己表現、自己発見のツールです。 

 

みなさんも自由に写真を楽しみながら、思う存分、自分の気持ちを写真で表現してみてください。そしてもし気になる写真があったら、その写真に対して何を感じるのか、同じような思いをしたことが以前になかったか、それはどのような体験だったのか、自分の心とゆっくり対話してみてはいかがでしょうか?

 

それが今まで気づかなった自分らしさを取りもどす第一歩になるかもしれません。

 

第9回 再生:写真で生きる力を育む

 

(3)写真から自分を感じ取る

 

写真は思い出を残すことができますが、これは「記録性」という写真の特性を利用しています。写真にはもう一つ特性があり、それが「投影性」です。そして私が提唱している「写真セラピー」ではこの「写真の投影性」を利用してワークショップ参加者の自己洞察を深め、自己発見を導き、自己回復を促します。簡単な言葉で言うと、今まで気がつかなかった自分に気づき、本来の自分を取りもどす、というプロセスです。

 

では「写真の投影性」とはどういうことなのでしょうか?

 

私たちは被写体に対して「何か」を感じるからシャッターを押すのですが、出来上がった写真にはその「何か」が「投影」されています。また写真を見る場合も投影的で、写真に見る人の思いが投影されるため、人によりその写真の見え方やそこに流れる物語(意味づけ)が異なります。

 

例えば、このシロクマくんの写真に吹き出しをつけるとしたら、あなたはどんな言葉を書き込みますか?「眠いよ~」「参ったなぁ」「お腹がすいた」「頭痛~い」など、人により様々でしょうが、これが「写真の投影性」です。私の場合は「参ったなぁ」でした。実は当時の私は、解決せねばならないある問題を抱えていました。ですから自分の心をその写真に投影し、シロクマ君に「参ったなぁ」と言わせたわけです。そして面白いことに、見るときの状態によって写真の見え方は違ってきます。今であれば「眠いなー」といったところです(実は最近寝不足なのです)。つまり、写真を撮るときも、写真を見るときも、そのときの自分の心のフィルター(状態)を通して見るために、人により、その時々で見え方が異なるのです。

 

ではなぜ、このようなことが起こるのでしょう?その答えとして、最近の認知科学研究で面白い結果が報告されています。それは幼い子供から大人までを対象にエビングハウス錯視(だまし絵)がどう見えるか調査をしたところ、大人はだまされたにもかかわらず、幼い子供たちはだまされなかったというのです。つまり、同じものを見ても、人により見え方が異なること、そして人は成長しながら見えるものの解釈の仕方(見え方)を学習してゆくこと、さらには全体性の脈絡の中で部分を認識(理解)しているということがわかります。

 

さて、シロクマ君の写真に対する私の体験のように、写真には時として言葉にならない思いや、そのときの心の状態が投影されます。そのような意味では写真セラピーは抑圧(気持ちを押し殺してしまうこと)が強く、言葉による表現が苦手な人ほど、自己表現として、そして自己理解のツールとして有効です。写真を通してゆっくりと自分の心と対峙し(自己洞察を深め)、「あ、そういうことだったんだ」と新たな自分に気づき(自己発見)、自分らしさを取りもどすこと(自己回復)。私はそこにスクラップブッキング材料を利用した独自のプログラムを開発し、2004年以降、様々な人たちを対象に写真セラピーのワークショップを実践しています。

 

写真好きの皆さんは、一度、じっくりと自分が撮った写真の数々を見つめてみてはいかがでしょうか?それら一連の写真から、どのような印象を受けますか?自分がとても気に入っている写真はどれですか?その理由は何ですか?撮影している被写体や写真のイメージに共通性はありますか?そのテーマはあなたにとってどのような意味を持つのですか?

 

反対に、気になる写真や嫌いな写真、自分が撮ったはずのイメージとは違って見える写真があれば、そこから感じる違和感にそっと心を合わせてみてください。なぜその写真が嫌いなのですか?その写真はどのように見えるのですか?その写真から想起させる出来事や思い出はありますか?

 

写真はとてもおしゃべりです。写真に心を合わせ、語りかけてくるメッセージに耳を傾けてみてください。それは気がつかないもう一人のあなたからのメッセージ。そこにはあなたが幸せになるためのヒントが隠されているかもしれません。

 

 

第8回 再生:写真で生きる力を育む

 

(2)気がつかないもう一人の自分 

 

前号では、自分らしい人生をおくるためには、自分自身の内面を把握していること、特に考え方や行動のくせ、自分を縛っている無意識のルールなどを知ることが役立つとお伝えしました。

 

そこで、読者のみなさんに質問です。みなさんは、どれくらい自分のことをご存知ですか?

 

多くの方が「自分のことくらい、よくわかっているわ」と答えるかもしれません。しかし心理学では、自分が意識できる部分は海上に出ている氷山の一角のようにごく一部で、自分でも気づかぬ「無意識」の領域が、海面下に沈んでいる氷山の固まりのように大きな部分を占めていると考えます。

 

そしてその「無意識」の領域には、あなたが過去経験したり、学習したりしてきたこと、さらには思い出したくない強い情動やコンプレックス(劣等意識)、シャドー(自分が認めたくない影の部分)などが蓄積さており、それらがあなたの思考や行動を左右しています。

 

つまり意識していない「もう一人の自分」があなたの人生をつき動かしている。これはある意味、驚くべきことではありませんか?しかし、そのようなことは、日常生活でごく頻繁に起こっていることなのです。

 

最近、私自身も次のようなことを体験しました。

 

私は、写真やスクラップブッキングを楽しみながら元気になってもらうという写真セラピー活動を続けていますが、「なぜか」東日本大震災以降、積極的に被災地に入り、活動を推進することが出来ませんでした。

 

多くの方が亡くなられた場所を訪れるのが怖かったという気持ちがありましたが、被災地の皆さんのお役にたてるだろうまさにその時期に二の足を踏んでしまったこと。それは私自身に大きな無力感と挫折感をもたらしました。

 

しかし、つい最近のことですが、一歩を踏み出せなかった深い理由のあったことに気づいたのです。

 

以前、私は可愛がっていた文鳥を水の事故で亡くしました。足の悪かった文鳥が、薬を入れておいた小さな水飲み入れに頭から落ちて溺死したのです。そしてすぐ傍にいたにもかかわらず、助けてやれなかったという事実が自分を責める気持ちとして、トラウマ(心の傷)になりました。

 

そして、ふとしたことから最近わかったこと。それは、そのときの自分の思いが、東日本大震災の津波で大切な人を亡くした方々が感じておられるだろうお気持ちと重なり合っていた、ということです。

 

被災地に入り、写真で自由に心の叫びを表現してもらう写真セラピー活動。それを進めてゆけば、自分が抱いたと同じような辛い思いが語られてくることは避けられません。水の事故で大切な人を亡くしたという悲しみや苦しみに加え、「なぜ、このような目に遭わねばならないのか?」という無念な思いや「なぜあの人を助けることができなかったのか?」という自責の念も含まれます。そしてそれらは間違いなく、私の心の傷を刺激したことでしょう。なぜならば、それらは私自身が心の奥底に抱えている思いでもあるからです。そしてその痛みを避けるために、無意識的に被災地での活動を避けていた自分がいたのでした。

 

この事実に気づいたとき、私は心からほっとしたことを覚えています。つまり、自分でも理解できなかった行動の背後には、「自分の心を守るため」という大切な理由があったからです。

 

このように、自分の思考や行動の背景にある理由を理解することは、生きづらさを解消する上で非常に重要ですが、自分で意識できない「無意識」の心の状態を把握することはなかなか容易ではありません。しかし、そこに写真を活用することが可能です。

 

写真セラピーの一番大きな要素は「写真の投影性」、つまり、気持ちのむくまま、自由に撮影した写真に自分の心の世界、時として意識していない無意識の心理状態までが表現される点が挙げられます。

 

写真以外にも、イメージの投影性を利用したセラピーとして、箱庭療法やコラージュ療法、絵画療法などがありますが、言葉でうまく気持ちを表現することが苦手な人や、自分の心の声に気づきにくい人にとって、写真やスクラップブッキングはとても便利な自己表現、自己発見のツールです。

 

そこで、次号では写真から「気づかない自分」を感じとるヒントをご紹介したいと思います。

 

 

 

第7回 再生:写真で生きる力を育む

 

(1)ストレスをケアする  

 

ストレスの高い日常生活の中で、皆さんはどのようにストレスをケアされていらっしゃいますか?適度なストレスは、心や体の活力を高めます。しかし過度なストレスや長期間持続するストレスは、様々な心身の健康障害の引き金になります。

 

従って自分のストレス度合いをしっかりと把握しながら、それとうまくお付き合いしてゆくことが大切です。そして写真やスクラップブッキングを楽しむことをストレスケアとして活用することが可能です。

 

スクラップブッキングは、コラージュ療法や作業療法の要素を持っています。コラージュ療法とは、雑誌などの写真やイラスト、文字を切り取って色画用紙に貼りながら、自分の内的世界を自由に表現するという心理療法で、いい作品ができたという達成感や満足感が心の安定につながるとされています。また、作品から今まで気がつかなかった自分らしさを発見することもできます。

 

スクラップブッキングの素材はどれもアート性が高いため、誰でも見栄えのよい作品が作りやすく、また自分の空想(イメージ)の世界を作って楽しめるために(創造的退行)、大きなセラピー効果をもたらします。また、何かを「切る」という行為は、心のモヤモヤを「断ち切る」と同様の心理的効果があるため、ストレス解消やカタルシスにつながります。

 

さて、私たちは日々の生活の中で、様々なストレスに直面します。ですから「どのようにしてストレスをうまくケアできるか」というのが、心と体の健康にとって非常に重要です。もし仕事のプレッシャーや仕事量が増大し、長期間にわたって心と体の負担になっているのであれば、まずは心と体を休息させることが最優先です。しかし「やらなければならないことはたくさんあるし、自分でどうすることもできないことばかり。だからストレスを減らすことはなかなか難しい」と思っている人も多いでしょう。

 

確かに私たちは自分の思うとおりばかりにはできません。生きていれば、嫌なことや大変な状況とも直面せねばなりません。しかし、ストレスとなる出来事に直面した時に、その捉え方や考え方を変えることにより、ストレスは軽減できるのです。

 

例えば、ネガティブではなくポジティブな見方をすること(「もう半分なくなってしまった」ではなく、「まだ半分もある」)。「こうに決まっている」や「こうあらねばならない」というような自分なりの思い込みに気づき、それを手放すこと。相手の立場や状況を思いやること(「まあ、しょうがないか」)。善悪や白黒をはっきりさせず、両価性やあいまいさを受け入れること(事実は立場や状況、見方により異なる、どっちもどっち、どちらでもよい)などです。 

 

また、なぜか心や体を壊すほど無理をしてしまう人の背景には、幼い頃、親との関係性の中でその人自身が作り上げてきた「人生脚本」(無意識のルール)が存在していることがあります。例えば、私は「完璧でなければならない」「いつも頑張らねばならない」「何かを成し遂げねば、生きている価値がない」「人に助けを求めてはいけない、求めてもどうせ助けてくれないだろう」「人生はしょせん苦しいことばかり」などです。

 

さらに、自分の気持ちを無理に押し込めて、我慢してしまうのではなく、相手にも配慮しながらもうまく自分の気持ちを伝えること(アサーション)も、ストレスを軽減してくれます。

 

ですから、ストレスを最小限にし、自分らしい人生をおくるためには、自分自身の内面を把握していること、特に考え方や行動のくせ、自分を縛っている無意識のルール(こうあらねばならない)などを知ることが必要ですが、これはなかなか難しいものです。

 

そのような観点から、次号では「自分を知ることの大切さ」や、写真やスクラップブッキングを通して自分の内面を見つめ、自分らしさや本来の自分と出会えることについてお話ししたいと思います。

 

 

第6回 喪失:写真で心の痛みを癒す 

 

(4)思いを語る

 

スクラップブッキングを構成する要素に、写真とジャーナル(注:写真に添える思い)がありますが、皆さんはそれらを大切にしていますか?私は写真セラピーのプログラムにおいて、思いを語ってもらう手段として、写真やジャーナルを利用しています。

 

自由に思いを語ることは、それ自体が癒しです。自分の状況や気持ちを人に伝えることを自己開示といいますが、それには3つの効果があるとされています(*)。まずカタルシス効果。皆さんも心の中に抱え込んでいた話を聴いてもらってすっきりした、という経験があるでしょう。このカタルシス効果によりストレスが低減し、気持ちが楽になります。次に自己洞察効果。自分の思いを語ることにより自己洞察が深まり、考えがまとまったり、気持ちが整理されたりします。最後に不安低減効果。体験を打ち明けることによって、他人も同じような悩みや感じかたをしているのだ、自分だけでない、自分がおかしいわけではない、と確認されて不安が低減されることです。

 

このように語りには人を癒す効果がありますが、この効果が最大限発揮されるのは、大きな喪失体験をした人の立ち直りの過程においてではないでしょうか。そしてそこには無批判で語りに耳を傾け、共感的に寄り添ってくれる「聴き手」の存在が不可欠です。

 

「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのだろう」「あの時、ああしていれば、こんなことにならなかったかもしれないのに」「他人が大変な思いをしているのに、自分だけが今までどおりで申し訳ない」というように、無常感ややり場のない怒り、悲しみ、納得のいかない気持ち、後悔や自責の念など、聴き手に思いを伝えながら何度も自分自身との対話を繰り返すことで、人は立ち直りの過程を経てゆきます。そしてそこに私は写真とスクラップブッキングを利用します。それが写真セラピーです。

 

写真セラピーのワークショップでは、思い出の写真を使ってコラージュしながら、自由に心の世界を表現してもらいますが、そこに訓練を受けたファシリテーターが思いの受け止め役、聴き手として寄り添います。具体的には、ワークショップ最後の発表会で、写真や作品について感じること、思い出などを自由に語ってもらい、その思いを丸ごと共感的、関与的に受け止めるのです。すると前号でもお伝えしたように、悲しみ、苦しみを抱える人たちが思いを語りながら癒されてゆくプロセスを体験します。

 

さて、女性は比較的容易に自己開示することができますが、男性はなかなか自分の素直な気持ちを表現することができません。なぜならば、自分をさらけだすこと(自己開示すること)は、ある意味、自分の弱さを見せることでもあるからです。オスの理論からすれば、弱みを見せることは別のオスからの攻撃を受け、群れから追われる危険性にもつながります。ですから男性は、本来(本能的に)自分の思いを語り、自己開示することが苦手なのです。

 

ところが、写真セラピーのワークショップでは、男性も比較的容易に思いを語れる点が興味深いところです。ある男性は、「普段、家族に伝えられないような気恥ずかしい気持ちも、こうして写真やアルバム作りをしていると、すんなりと言葉として出てくるのが不思議ですね」と言われていました。そして私自身も同様のプロセスを体験しますが、写真は素の自分と対峙させてくれます。これも写真やスクラップブッキングのチカラなのでしょう。

 

皆さんも写真を通して自分の気持ちとゆっくり向き合いながら、大切な思いをジャーナル(注:言葉)として残してください。そして講師をされている方々は、写真に対する思いを自由に語ってもらうプロセスを加えてみてはいかがでしょうか?それによりセラピー的な要素を持たせたお教室にすることができます。

 

(*)「ほんとうの自分の作り方・自己物語の心理学」榎本弘明、講談社現代新書、2002年。

 

 

第5回 喪失:写真で心の痛みを癒す 

 

(3) 写真を加工して楽しむ

 

人は時として過酷な運命を体験します。東日本大震災とその後に起こった原発事故は、多くの人の心に悲しみと痛みをもたらしました。しかし直接的に被災していない人も、日常生活の中で様々な喪失体験をします。

 

私はこの4年間に沢山のお別れを経験しました。大切な人たちとともに、後を追うかのように飼っていた文鳥が次々に私の元からいなくなってしまった現実は、私に崖の上からつき落とされたかのような痛みと絶望感を私に与えました。

 

残された私に出来ることといえば、旅立っていった者たちに思慕の思いを募らせることくらいです。しかしよく考えてみると、彼らとの「思い出」こそが彼らとの間に残された確かな「絆」であり、その絆を目に見える形で示してくれるのが写真です。そして写真の中ではいのちは永遠に輝き続け、亡き人たちといつでも再会することができます。

 

スクラップブッキングの素晴らしい点は、そのように大切な思い出を手軽に、印象的に残せるだけでなく、素材の力を使って自分の思いどおりの「心の世界」や「イメージの世界」を表現できることではないでしょうか。人気スクラップブッキング作家である宮本明香さんの作品は、その最たるものかと思います。そしてそのように素材の力を借りて自分のイメージの世界を表現できるスクラップブッキングの魅力こそが、マスキングテープなど簡素な素材だけを使うアルバム作りとの大きな違いでしょう。

 

また、スクラップブッキングでは、写真が否応なしに突きつける現実世界、時に過酷な事実であっても、写真を取り巻く周り脈絡(物語)を台紙や素材を使って作り変えることで、自分の思い通りのイメージ、ポジティブなイメージの世界をも作り出すことができます。そしてこのイメージを変えることができること、現実の世界から一時離れ、自分の好きなイメージの世界で自由に遊べること(心理学ではこのプロセスを「退行」と呼びます)は、悲しみの淵に佇んでいる人にとっては大いなる癒しになります。暗く悲しい現実にフォーカスしている意識を、プラスのイメージに気持をシフトすることができ、現実の心の痛みを和らげてくれるからです。

 

私のワークショップでは亡くなられたお子さんや大切なペットの写真を使って明るいイメージの作品を作り、「天国で楽しく遊んでいるイメージを表現しました」と涙ながらに語られる方が沢山いらっしゃいます。そしてその作品を自宅に飾り、毎日眺めているうちに、大きな癒しを体験したとお聞きします。

 

今、日本では、多くの人が生きづらさや心に大きな痛みを抱えて生きているように思えます。そしてたとえ何年経とうと、心の中に悲しみや苦しみを押さえ込んでいる限り、その痛みは容易に薄れることはありません。また、「忘れよう、忘れよう」と考えることも、記憶の固定化を促進し、かえって忘れることを困難にしてします。

 

悲しい時はたくさん悲しみ、辛い時には辛いと嘆く。それが癒しのプロセスを促進しますが、そこに私はスクラップブッキングを利用します。それは、思い出の写真を使って心の世界を自由に表現し、その思いを語ってもらいながら癒しにつなげるというセラピー手法です。

 

人は誰もが心の自己治癒力、自己回復力を持ち合わせています。身体の傷が自然に治ってゆくように、心の痛みも時とともに癒されて和らいでゆきます。そしてスクラップブッキングはそんな心の自己治癒力、自己回復力のスイッチを入れることができる素晴らしいクラフトです。

 

 

第4回 喪失:写真で心の痛みを癒す  

 

(2)写真を見る

 

私たちは辛い時、悲しい時、少し凹んだ時などに昔の写真を見ることがあります。それは写真から懐かしさや楽しさ、嬉しさ、安心感など、ポジティブな気持を感じる事により、現状のネガティブな気持を和らげる自然な心の働きです。

 

少し前のことですが、大好きだった父を亡くしました。そして四十九日をすませたあと、生前の父の面影を感じ取りたくて、昔の家族アルバムを開いてみました。すると、そこには両親と一緒に笑っている私の写真がたくさん貼られていました。そして父と過ごした楽しい思い出が、愛されていたことに対する感謝の気持ちとともに私の心を暖めました。

 

写真の特性は事実を記録することですが、そこには撮った人の思いや、写っている人の思いまでが記録されています。思い出は人の心を暖めます。そして亡くなった人とも写真で再会することができます。写真の中ではいのちは永遠に輝き続けるからです。

 

東日本大震災では、津波によって多くの人のいのちと生活が奪われました。自然災害による突然の喪失体験。がれきの山は、彼らの無念の山です。その中で写真を拾い集め、洗浄、修復して、持ち主に返そうとするボランティア活動が大変喜ばれています。写真がそれほどまでに大切にされる理由。それは写真には大切な思い出が記録されているからです。思い出は、その人の生きてきた証。その人の人生そのものです。

 

私たちは生きてゆくうちに数々の喪失を体験します。大切なものや人を失うことのみならず、病気や障害、加齢などによって、本来の自分らしさを失ってゆくことも一つの喪失体験です。そんな時に、自分らしいと思える昔の自分の写真を見る事で、心の痛みを和らげることもできます。

 

先日、両親の結婚当時の写真が収められているアルバムを見つけました。私がそれを見たのは初めてですが、そこには映画「ローマの休日」のオードリーヘップバーンとグレゴリーペックを思い浮かべさせるようなツーショットがたくさんありました。そしてそれを老人ホームに入居している母にも見せたところ、ほとんどのことに無関心な母が、一時間近くもじっと写真を見つめていたのです。あまりにも一生懸命写真を見ていますから、寄り添っている私が何と言葉かけをしてよいのかわからず、戸惑うほどでした。

 

そして予想もしていなかったことですが、父と一緒に笑っている、若く美しい母の写真は、私の心を癒してくれました。どんどん老いて弱ってゆく母を見ていることは大変辛いことです。残された時間がわずかであることは寂しさをかきたてます。何よりも本人の思いを推し量ると、私の心は痛みます。しかし、それらの写真が私に伝えてくれたこと。それは、確かに母にも幸せな時間があったこと。今はこのように辛い状況だし、今までも大変なことが色々あったけれど、人生決して悪いことだけではなかった・・・そう思えることは、娘である私にとって大きな癒しになりました。そして、アルバムをめくりながら、同じような思いを母も感じていたのかもしれません。何よりも、そうだったらいいな、と思います。

 

人生を振り返り、統合してゆく作業を「ライフレビュー」といいますが、そこに写真が利用されます。人はネガティブな思い出のほうが記憶に残りやすいようですが、昔の写真が過去の事実を客観視させ、ポジティブな記憶を上書きすることによって、心の痛みを和らげてくれます。皆さんも辛いことがあったら、昔の写真を見直してみてはいかがでしょうか?写真は何か大切なことを教えてくれるかもしれません。

 

 

第3回 喪失:写真で心の痛みを癒す  

 

(1)写真を撮る、撮られる

 

私たちは生きているうちに幾度となく辛く悲しい別れを経験します。大切な人やペットとの死別のみならず、失恋、失職、受験の失敗、病気や事故、加齢などにより身体の健康や自由を失うことなど、自分のアイデンティティーの一部となっている大切なものを失うことを心理学では「対象喪失」と言います。前回、ご紹介した我が子の巣立ちも、一種の対象喪失です。そしてその苦しみや悲しみ、虚しさにどう耐え、乗り越えるか、どのように「悲哀」の仕事を達成してゆくかは、人にとって永遠の課題でしょう。

 

東日本大震災では、多くの人が大切な家族を亡くし、津波で家を流されました。しかし、東北魂というのでしょうか。どんなに大変な思いをしていても「自分はまだ幸せ。もっともっと辛い思いをしている人がいるから」と言って、自分の気持を押し殺し、我慢している人がたくさんいます。私はこのような人たちに出会うたびに心配になります。

 

実は、自分の辛い感情とゆっくり向き合ってゆくことが、癒しを助けます。自分の気持を感じないように押し込めたり、「大丈夫」と振る舞ったりして、心の痛みにしっかり向き合わないことは、人の心や体の健康に悪影響をもたらします。悲しい時はたくさん悲しむ。涙を流す。悲しい、辛い、悔しいと人に話をする。これらは喪失体験において大切な立ち直りのステップなのです。

 

写真には、撮る、撮られる、観る、加工して楽しむ、写真について思いを語るなど、様々なプロセスがあります。そして、それぞれに人の心を癒したり元気にしたりする要素が隠れています。写真にとって大切なプロセスは「撮る」ことですが、自分の心の向くままに撮り、言葉にしにくい気持を「写真」という形で表現しながら、癒しにつなげることが可能です。つまり、辛い、悲しい、苦しいといった気持を言葉で表現するのではなく、写真というイメージで表現するのです。

 

少し前のことでしたが(注:東日本大震災発生から3か月後)宮城県内の小学校においてワークショップを実施しました。撮影された写真の数々は、自然、いのち、水、自由、などのテーマから構成され、その中でもほぼ全員が「水」に関連した写真を撮っていたことがとても印象に残っています。当日の天候は雨でしたが、ほとんどの生徒が校庭に出て撮影していたのです。今まで数多くのワークショップを実施してきましたが、雨の日は屋内で撮影されることが多く、傘をさして外に出る子供達はあまり見たことがありませんでした。ですから、彼らが無意識のうちに水に関する被写体を求め、雨の中に出て行ったように私には感じられました。

 

そして出来上がったアルバムには、彼らの心の世界が如実に表現されました。水たまりの中の渦を撮った男の子。水たまりに沈んでいるシロツメクサの花を撮った先生。隙間がないほどたくさんのシールを台紙に貼りつけることに没頭していた男の子。「空想の世界」といって、誰もいない教室の写真に蝶の飾りを貼りつけ、魚の水槽の写真に赤い花びらを一枚散らした女の子。大きなイチョウの木の写真と共に「自然はいいな。自然のように自由に生きたい」というコメントを書いた男の子。

 

彼らはみな、写真で心の叫びを表現していたのです。そしてワークショップが終了した彼らの顔には、すっきりしたような表情がみられました。今回の体験は、自分の辛い気持を写真と言葉によって発散する「カタルシス」になったことでしょう。また、彼らの作ったアルバムが、先生方や親御さんとの会話につながってくれたかもしれません。

 

写真を撮ることだけでなく、写真に撮られることも、人の生きる力を喚起します。津波に流されてしまった家の前で自分の写真を撮ってもらう人。避難所に設置した仮設スタジオで、家族そろって写真を撮ってもらう人たち。彼らのコメントに共通なのが「今という時を忘れないように写真に残し、未来に向かって歩いてゆく」という言葉です。辛い状況をしっかりと受け止め、写真に撮られることにより自分を見つめながら、それを明日への意欲につなげようと立ち向かう、勇敢な姿です。

 

そしてまた、私の緩和ケア病棟の活動の中でも、同じような人たちに数多く出会います。緩和ケア病棟とは、がんなどにより余命わずかとなっている患者さんらが、痛みをコントロールしてもらいながら、残された時間を心豊かに過ごせるよう手助けする病棟です。そしてそこにはご自身が写真に撮られることを希望される患者さんがいらっしゃいます。

 

ある方は、私がお贈りしたアルバムに「今を生きる私」というコメントを書き添えました。また、別の患者さんは、「撮られることで、生きる喜びを再確認できた」と教えてくれました。実は、これらは、フォトセラピーという言葉が世界に知られるようになったきっかけを作った女流写真家・ジョースペンスが、「乳がんを患った自分自身のセルフポートレートを撮りながら、死の恐怖を乗り越えた」というエピソードと重なるものがあります。

 

人が絶望の淵から一歩を踏み出し、悲しみも苦しみも統合しながら「新たな自分」へと歩み出すには、大きな勇気とエネルギーがいります。そしてそこに写真というツールがお役にたつことができます。

 

 

第2回 巣立ち: 写真で心の隙間を埋める

 

人は誰もが多かれ少なかれ、毎日の生活に満ち足りないものを感じて暮らしているものです。それは「もっとお金が欲しい」「もっといい暮らしがしたい」「もっと美味しいものが食べたい」というような物質的な不足感だけでなく、時として「もっと愛してほしい」「もっとかまってほしい」「もっと自分を認めてほしい」という欲求であったり、寂しさや虚しさであったりします。しかし写真が楽しくなってくると、心の中に抱えている寂しさや虚しさがどんどん和らいでゆきます。

 

活動で知り合ったKさんは、当時、45歳の主婦でした。若くして結婚、すぐに子供を授かった彼女は子育てに専念し、25年があっと言う間に過ぎて行ったと言います。そして手塩をかけて育ててきた息子が社会人になり、一人暮らしを初めてほっとしたのも束の間、彼女にある変化が訪れました。

 

全てが虚しく、何もやる気が起きないのです。今まで楽にこなしてきた家事や大好きなガーデニングもただおっくうなだけ。ぽっかり心の中に穴があいたような空虚感を感じてしまいました。金銭的に不自由なく暮らしていたKさんは寂しさを紛らわそうと美味しい物を食べ歩き、買い物をするなどして、何とか元気になろうと試みました。しかし、一時的に楽しい時間を過ごせるものの、生きる実感が湧いてこなかったと言います。

 

Kさんのように、子育てに専念していた女性が、喪失感や虚脱感、不安感、葛藤状態、うつ状態などを示すことを、ひな鳥が巣立った後の空っぽの巣に例えて、「空の巣症候群」と呼びます。空の巣症候群は、子供の大学進学や就職、結婚などがきっかけで、もう自分が家族に必要とされていない、自分の役割がなくなってしまった、などという「役割喪失」を経験することから始まります。Kさんも、自分の生きる原動力となってきた「子供の面倒をみる母親」という役割から解放された事がきっかけで、自分の存在意義が変化し、一種の自我の危機を迎えたのでした。

 

彼女から連絡を受けた私は、毎日の生活で写真を楽しんでみてはどうかと提案しました。なぜなら、写真が楽しくなってくると、心の中の虚しさが和らいでゆくからです。

 

まず、人には好きなもの、欲しいと思うものを手に入れたいという本能的な欲求があります。実際には自分のものにできない被写体や一瞬の光景でも、写真という形にすればいつまでも自分の手元に置いておいて眺めていることが可能です。実は撮影することを英語では「shoot」と言いますが、この言葉は写真の本質をうまく表していると思います。「shoot」とは「銃を撃つ」「矢を射る」こと。つまりカメラのレンズを通して好きな被写体を撮影し、その写真を手元において眺めることは、その被写体という「獲物を仕留めて手に入れる」ことと同じ。人間の狩猟本能や所有欲を満たし、心を満足させる働きがあります。

 

また、本来であれば時間を止めることができないため、素晴らしい一瞬の光景や出来ごとも過ぎ去ってしまいます。しかし写真であれば、それを思い出として記録し、何度でも好きな時に見直す事ができます。寂しい時、少し凹んだときなどに、昔の楽しかった思い出の写真を見たりすることはありませんか?それは、好きな写真を見ることで撮ったときの感動や喜びを再体験し、辛い気持を和らげるという自然な癒しの心の働きです。つまり、撮ることにも、撮った写真を見ることにも、癒しとしての効用があるのです。

 

そして、好きな被写体を探す「わくわく感」、一生懸命写真を撮るときの「集中力」、いい作品ができたという「達成感」、もっといい写真を撮りたいという「意欲」なども、人の心を元気にします。さらに、人に褒められたときの「喜び」、写真についての思いを語り、共感的に受け止められたときの「癒し」、今まで気づかなかった自分を発見し、自分らしさを取り戻す「自己回復」。これらすべてが、人の心を元気にする写真のチカラです。

 

子供は成長し、いつかは巣立ってゆきます。そしてそれを見守り、社会へ送り出すのが親の役目でもあります。しかし大切な我が子の成長や巣立ちも、手塩にかけて育てれば育てたほど、心寂しく感じるのは当然のことです。ぽつんと空になってしまった巣の中でひとり、心の隙間風を感じてしまったときには、皆さんもどうぞ自由に写真を楽しみながら、人生の転機を乗りきってください。ただし、「自由に」というのが一つのキーワードです。最初からいい作品づくりを目指す必要はありません。心の感じるままに、心の表現として、好きなものを探して沢山シャッターを押してください。そしてもう一つの大切なポイントは、撮りっぱなしにしないこと。画像のバックアップの意味も含めて、お気に入りの写真はプリントして手の中に入れていつでも眺めることができる、リアルな思い出としてアルバム作りを楽しんで下さい。

 

 

 

第1回 子育て:写真で親子の絆と子どもの自尊感情を育む

 

この雑誌を愛読する多くの皆さんが、子育て中のママさんなのではないかと想像します。子育ては本当に大変な仕事です。そこに写真やスクラップブッキングを楽しむことで、沢山の人たちが癒し効果を感じられているのではないかと思いますが、ここでは写真を一緒に楽しむことが親子の絆や子どもの自尊感情を育むことができることをご紹介します。

 

皆さんも写真を楽しむことが、撮る、撮られる、撮り合う、見るなどのプロセスを通して、コミュニケーションを育む効果があることは実感されているのではないでしょうか。実は海外を中心に1980年代半ばから心理学における写真の利用法が研究され、様々な写真の効果が発表されています。

 

その一つに、他者と一緒に写真に写ることが、それらの人の間の親近感を高め、「絆」を深める効果があることがわかりました。これは「写真の絆効果」と呼ばれます。つまり、お子さんと一緒にファインダーにおさまることは、親子の絆を育むことになるのです。通常、お子さんと一緒に写るよりも、お子さんだけを撮ることが多いのではないでしょうか。是非、2人一緒に、ご家族一緒に、カメラに向かって「ピース!」をしてみてください。

 

もう一つ、一緒に写真を楽しむことで期待できる効果として、子どもの生きる力を支える大切な感情である「自尊感情」が育つことです。自尊感情とは、「自分にはいいところがある、自分は価値がある存在で、愛され、大切にされている」と感じられることです。好きな自分も嫌いな自分も、全てひっくるめたあるがままの自分を受け入れ、自分が価値ある存在であると思えること、自分が好きと言えることです。この自尊感情が高いほど、人生においてぶつかる困難を力強く乗り越えて生きてゆくことができます。また、様々な個性や感性、生き方の違いなどを尊重し、自分だけでなく他者をも大切にすることができます。しかし、残念なことに、日本の子どもたちは他の国の子どもたちに比べ、自尊感情が大変低いと報告されています。

 

実は、自尊感情には「基本的自尊感情」と「社会的自尊感情」の二種類があり、「自分は生きていてよいのだ」と思える「基本的自尊感情」は、生きる力、「いのち」を支える大切な感情ですが、他者との共有体験、共同注視で育まれると報告されています。共有体験とは、何かを一緒に体験すること、共同注視とは、何かを一緒に見つめること。親子で一緒に写真やスクラップブッキングを楽しむことは、まさに、思い出の共有体験であり、共同注視(被写体や写真、LOを一緒に見つめること)です。

 

また、もう1つの「社会的自尊感情」は、他者から褒められる、認められるなどで育つと言われます。子どもが撮った写真や作ったアルバムを褒めること、子どもなりの個性、感性を認める事で「社会的自尊感情」が育まれるのです。

 

日々、子どもたちにまつわる悲しい事件が報道される現代社会において、子どもたちの自尊感情を育むことは、親として非常に大切なことではないかと思います。

 

皆さんも、親子一緒に写真やスクラップブッキングを楽しみながら、家族の絆やお子さんの自尊感情を育んでいってください。

 

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